夏空の鳥居

あざな










 自転車のペダルを強く踏み込むと、前輪は後輪を引き連れて道をぐいぐいと進んだ。
 白いYシャツの袖に遊ぶ風が、心地いい。
 空は、白い綿を浮かべながら明るい青を広げている。

 ネクタイは邪魔だからはずしちゃおう。坂も一気に駆け上がる。
 高校2年の夏の青春、まるでドラマみたいでちょっと照れるけど、もうひと踏ん張りだ。

 そろそろ鳥居が見えてくるはず。

 
 ブレーキを強くかけると、キキッと小気味の良い音をたてて車輪がとまった。
 自転車は木陰において、階段を走ってのぼっていく。

 蝉の声が、木もれ日と一緒になって降り注いでいる。
 浴びるようにそれをうけながら、身体中に夏が染み渡って行くのを感じる。

 これは何の匂いだろう、風のにおいか、それとも空の匂いか。

 どちらにせよ、胸に吸い込むと、一気に何もかも吹き飛ぶように気持ちがいい。

 

「とうちゃーく!」

 
 石段を上りきると一番上には境内があって、真上から照らす太陽の光と反射した紅が眩しかった。
 小さな山の林の中の境内。木陰にある大きい岩が、俺の特等席だ。
 持って来たバッグから、コンビニで買ってきたアイスを取り出してバリっと袋を開ける。

「あはは、よかった! セーフ!」

 まだ溶けて無かった。

 ソーダの味のする、シャーベット状のアイスをかじると、冷たさが口に広がる。
 これこそが、俺の夏の醍醐味!
 汗ではり付いたYシャツを、下からあがってくる風が乾かすように通り抜けていく。

 やっぱりほんとに気持ち良い。

 

 一口ずつ堪能しながらアイスを食べ、おれは空を見上げた。
 綺麗な青空だ。ひんやりとした岩の感触を、足に感じる。

「お! アタリ!」

 ラッキー!! 
 食べ切ったアイスの棒に書かれた文字に、俺はニヤリ。
 こんなことで喜ぶなんてガキっぽいかな、でもいいや。
 ここにいるときは、気持ちがほんとに子どもに戻る。

 よじ登ると座るのに丁度良い、この岩を見つけたのは幼稚園の頃だ。
 それ以来ここは俺のお気に入りの場所で、特に夏は涼しくて、暇を見つけてしょっちゅう来る。
 静かだし、人もあまり来ないから、考え事をするにも丁度良いんだ。

 
 と、そのとき。


 ポツリ。

 

「ん?」


 
 なにか冷たいものが頬にあたった。
 空から……落ちて来た水?


 え、だってこんなに晴れてるのに……雨、かよ?

 空を見上げたら、確かにさっきと同じ青さなのに、地面はポツポツと雨の痕跡を残し始めている。
 天気雨か……ああ、こういうの何て言うんだっけ。
 そうだ、確か。

 

「……何者じゃ」

「えッ?!」

 突然の声に慌てて振り返って、あやうく岩から転げ落ちそうになった。
 あぶねえ、とかつぶやきながら顔をあげると……子どもがひとり、立っていた。

「……なんじゃ、お主か……」

「へ? おぬしか、って、初対面だろ?」

「……」

 

 なんだよ、俺の質問に答えもしないで。
 それに随分と年寄りくさい喋り方をする子どもだ。見た目は小学生くらいなのに……
 恰好もなんだか時代錯誤だし。
 着物みたいなのを着て、よく見れば履いてるのは草鞋じゃないか。

 いったいどこから来たんだ、こいつ……

「式が、はじまったようじゃ」

「しき?」

「うむ」

 

 子どもは空を見上げる。
 横顔は涼やかで大人びているけど、どこか寂しそうで。

「今日は私の……姉が、嫁入りするのじゃ」
「えっ?」

 嫁入り? じゃあ式って……結婚式?

「めでたいじゃん! お前、式に出なくていいの? 姉ちゃんなんだろ?」

「私は……」

 

 言いかけて、子どもは口籠った。
 なんだろう、さっきまで随分大人びた口調で喋ってたくせに、急にうつむいてもじもじとして、拗ねたような仕草をしてる。

「行けぬ」

「なんで、弟なんだから行って当たり前じゃん」

「……行けぬ」

 さらにチビはうつむいた。
 青空から、ぱらぱらと雨が降り注ぐ。

「姉が嫁に行くのを……見たくないのじゃ……」


 
ぼそりと呟くのが聞こえて、俺はピン! と思い当たった。

 

「あーなるほど……」


 
 寂しいのか。
 よほど姉ちゃんを慕ってたんだな。
 それもそうか、姉が嫁入りだなんて婿さんに姉ちゃんをとられるようなもんだ。
 複雑だろうなー、こんなチビなら、なおさら。

「んー……でもさあ、お前の姉ちゃん、待ってるんじゃねーの?」

「待っている?」

「そうだよ、だってお前弟なんだろ? 自分の晴れ姿を見てほしいに決まってるし!」

 そうさ、それに。

 

「お前に祝ってもらいたいに決まってるよ!」

「……」

「姉弟ってそういうもんだろ?」


 
 俺は一人っ子だからわからないけど。
 チビの足元、雨の中の太陽に映された影をちらりと見ながら俺は言った。

「大事な大事な、弟なんだろうからさ!」
「だいじな、おとうと」
「うん」
「そうか」

 子どもは、小さく笑顔になる。
 細い目が、三日月形だ。

「……そうじゃな。大事な、大好きな姉上だからな」
「おう!」
「んむ。……ありがとう、アキラ。いってくる」
「いってこい! 転ぶなよー?」

 俺が手を振ってチビを送ると、あいつは振り返った。

「あんまり、氷ばかり食べると腹をこわすぞ」
「うっ。うるせー!」

 チビは笑って走っていった。

「ははは! あー、さすが、足が速いなあ」

 すぐに姿は林の中に見えなくなる。
 あいつの足元にうつっていた、耳と尻尾の小さな影も。

「よっと!」

 俺は岩を降りると、境内の前まで行ってポケットを探った。
 出てきたのは、小さな飴玉が数個。

「あちゃーこんなもんしかないや。ごめんな、今度油揚げ持ってくるからさ!」

 境内の前に飴玉をおくと、俺は大きな声で言う。

「おねーさん、おめでと! チビも、俺の名前知ってたんだな。また遊びに来るから、今度は一緒にアイス食おうぜ!」

 並んだ狛狐が、答えるみたいに、にんまり笑っていた。

 








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