宙明

mahakoyo











 ついに変わりしその姿 生まれたままのおの子なり            ―タム・リン―






 橋の下を見下ろすと、巨大な崖と遠くまで広がる雲。その向こうにうっすらと島が見える。夕方近く、陽の光が雲を金色に染める。あたり全体がオレンジだ。後ろを振り返ると、私の通う学校が、大気に埋もれて、うっすらと巨大に、黒く聳える。小等部から高等部まで一貫したその学校の校舎は、この国のシンボルにもなっている。国に生まれた人の九割九分がその学校に通うので、とにかく大きい。観光の見所としても親しまれているのだけど、学校帰りに後ろにそびえるそれを私はあまり好きじゃなかった。常に見張られているような気がして、ちょっと怖いなと、いつも思う。
 今日もサトミちゃんのお話をボーっと聞きながら、帰り道を歩いていた。
「ふぅん、そっか」
「だってひどいじゃない。あんな言い方あんまりよ」
 先生があそこまでキツく言うのもわかる。何度言ったってサトミちゃんは聞き入れない。我が強いというか、自分勝手だと思う。私は遅刻なんて滅多にしないけど、サトミちゃんはいつも遅刻してくる。だから、よく先生に怒られる。橋の上は、歩くとコンコンとの小気味の良い音がする。
「うん、そうだね」
 一本道だった橋が二本、三本と入り乱れ、お店も多くなる。この辺りからは商店街で、とたんに賑やかになる。大抵生活に必要なものは、この商店街で揃う。犬、猫、鳥、豚、羊などの様々なお肉や、にんじん、じゃがいも、キャベツ等の野菜。この国はとても高い所にあるので、下界から仕入れなければならない野菜はとても高価な食材として取引されている。私のような一般的な国民はなかなか食べられない。国をあげての行事や冠婚葬祭の時くらいにしか私は口にしたことがない。大抵の国民は、お肉の料理を食べる。
 お惣菜屋さんが、何か焼いているのだろう。美味しそうな匂いがした。お母さんと弟と、私がお風呂から上がったくらいに帰ってくる父を私は思った。汗の匂いのする父は湯上りの私をとても安心させてくれる。
「人間じゃないやつになりたいわ」
 と、サトミちゃんが言った。辺りが少しずつ暗くなっていく。
「なんで」
「あたし、多分スリルが足りないんだと思う。毎日に刺激がほしいのかも。その辺の虫とかさ、毎日が生きるか死ぬか、だよ。すごいなあ。」
「へぇ、あたしはやだ。トリとか、いいよ。」
 カラスがアーアと鳴いた。
「トリは駄目だよ。」
「どうして。」
「ベタ過ぎるかな。生まれ変わってトリになる奴は沢山いるよ。」
「ふーん」
「絶対そうだよ。トリよりは、そうだなぁ・・・」
 商店街を抜けると、途端に辺りは静かになる。街頭と、一本の橋の道、その向こうに沢山の点々とした明かりが遥か上の方まで伸びている。家々の明かりだ。崖の向こうから強く風が吹いて、私は帽子が飛ばされないように、頭を支えた。
「テングがいいな。」
 風が強くなる。想像上の生き物。鼻が大きくて、いつも威張ってる。
「てんぐ?」
「うん」
 雲の奥底から、ゴウゴウとうなり声みたいなものが聞こえる。大気が崖に当たって、渦巻いているのであろうその音も、私は怖くてあんまり好きじゃなかった。前よりは慣れたけど。でも、やっぱりちょっと怖い。辺りが段々、オレンジ色から黒に染まっていく。この時間は、私は好きだ。
「なんでまたテングなの」
「鼻が高いし、カッコイイよ。」
 ぶさいくだよ、あんなの。
「ぶさいくだよ、アレ」
「そんなことないよ。なんとなくさ、威厳みたいな。飛んでるトコとかカッコイイよ。」
「本物みたことないくせに」
 住宅街に近づく。橋から階段があらゆる方向に伸びて、別の橋や民家に繋がる。巨大なアスレチックが、私たちの住む街であり、そのひとつに私とサトミちゃんの家もある。前方の家の前で、子供が一人、エイサホイサと縄跳びの練習をしている。それを見つめる父がとても印象的。腰に手をそえてじっと見つめている。
「うん。ないね」
 くるんと体を翻して、私の前にサトミちゃんは体を向けた。
「あたしさ、テングになる」
 後ろ向きで私の前を歩くサトミちゃん。私、ちょっと歩きにくい。
「ふーん、いいかもね」
「いいでしょうー」
 顔を合わせて二人でクスクス笑った。カラスがアーアと鳴いた。空に星がポツポツと出てきた。ふと、崖の方に目をむけると、背を分けるように、雲が一部割れている。もうそんな季節か。その一割れた雲から、巨大で黒いものが浮上してくる。クジラだ。毎年この季節になると、クジラが沸く。群れで遭遇する時は、水しぶきが風にのって、こちらにまで届くから、傘が必要になる。大きいねえ、とサトミちゃんは言った。
 その後、私たちは別れてそれぞれの帰路へついた。



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